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              ●  ユース・ホステルの楽しい利用法 (RCグライダー・フライヤーに最適なお宿のご紹介)

 

 私は遠征をする時、主にユース・ホステルを利用します。私と同年代の人なら昭和のユースの事情を知っていると思います。あまり良いイメージの無い人は現在の状況を見て、考えを改めてください。

 平成15年以降のユースの状況はその利用者の大半が、40歳以上だそうです。昔の嫌な思い出を、取返すように多くの中年層が楽しく利用しています。本来ならば、時代の流れにそってより良い発展されたユース・ホステルに変貌を遂げなければならないハズなのですが,悲しき事に一時期の衰退により、数が減っています。これからのエコ・ブームに最適な宿泊施設だと思いますので、可能な限り紹介していきます。 (ユース・ホステル名で直接、検索してください。)  RCグライダーフライヤーにとって、翼を組んだまま調整できるスペースがあるというのは、大変嬉しい事だと思います。特にシーズン・オフなら、誰もいないときは使い放題の広い工作室となります。ただし、やりたい放題ではありません。おとなのレベルでペアレント(支配人)さんと相談してください。

 

              ○ 下関火の山Y・H(ユース・ホステル)

 平尾台で開かれるRCグライダー大会に出場する為に利用しました。このY・Hはシーズン・オフでも、土日には誰かが宿泊しています。ペアレントの久保氏はマクドナルドのスタンダード・ハンバーガーのような人なので、誰とでも気さくに応対してくれます。多分誰に聞いても良い印象しか出てきません。

 ペアレントの接し方ひとつで、その日の宿泊の印象が変わります。火の山Y・Hの家屋の雰囲気と、ペアレントの久保氏の組み合わせはドンピシャリと、はまっています。

 ベットの配置が昔と全く同じです。押入れみたいでカーテン付きです。身長187cmの私でも、足がつかえない程、長い押入れです。棚も付いてるし、専用の電器スタンドも装備されています。ここまで充実した押入れ型ベットは、過去経験した事がありません。生粋の関西人の皆さん、ペアレントさん相手に、思う存分ボケまくってください、必ず期待どうりのツッコミが返ってきます。

 平尾台の大会は、秋の終わり11月と、年が明けて2月に開催されます。冬の大会の時は、前日サイトにてテストを終えたら、山を下って高速に乗り火の山Y・Hへ向かいます。ペアレントの久保氏は、河豚の調理師免許を持っています。フル・コース付き宿泊で当時1万円(平成20年)これに翌日の朝食が、サービスで付いてきますが、私は6時出発なので食べられない事が多いのですが、どうしても食べてみたくてもう一泊してみました。この朝食をビジネス・ホテルのサービス品と想像した人は、食べる前に白旗あげるでしょう。5分でかきこむのは惜しい・・・、30分でも食べきれるかな?、理由は久保君に聞いてください。それと・・・、めったにお目に掛かれないレース・クイーンのような奥さんと、漫画みたいに鼻先のとんがった雑種犬のナナちんがいます。ナナちんは人見知りがはげしいです。

 

 

              〇久住高原Y・H(旧 瀬の本Y・H) 

 私が自衛官の頃、休日にはよくサイクリングをしました。20代初めなので有り余る体力を生かし、次々と峠にチャレンジしていました。この瀬の本Y・Hは、開設当時は協会直営でした、世界的に有名な建築デザイナーの設計です。昭和40年代当時としては、大変斬新な建造物でした。

昭和55年夏、別府から牧の戸峠を越えてユースに宿泊しました。その頃の瀬の本には、今のようなハイカラな施設など何もありませんでした。国道444号線とやまなみハイウェーの交差点付近の様変わりは車慣れした私にとって、浦島太郎状態でした。ユース自体も看板が無かったら個人の大きな別荘みたいで近寄りがたい、重厚な造りです。場所が場所なので、交通手段はバスか自前の車両しかありませんでした。今のユースは、

どこもバイクだらけですが、当時の瀬の本は自転車だらけでした。

 ホステラー(宿泊者)の層は20代の社会人と大学のサイクリング部がほとんどで、たま〜にアメリカのハイウェー・パトロール・スタイルの年配ライダーが泊まっていました。こと瀬の本のみの現象かもしれませんが、社会人の女性サイクリストが多いのでも有名でした。別府・竹田・阿蘇・小国の4方向から走ってきたサイクリストが、翌日の走行予定が立て易いほど、情報交換できるユースとして最適でした。とにかく、当時のユースの規則を守れない常連と呼ばれる年に1〜2泊しかしない(それでも常連)ひと達が、たむろできないくらいサイクリストが入れ替わり占拠していました。もうひとつ付け加えるなら、連泊者がほとんどいませんでした。当時は悩める子羊の避難場所的な状況ではなかったような気がします。

ユースの夕食はお約束の大皿デコ盛りのメイン・ディッシュに汁物・デザート、ご飯は何杯食べても良いのルールなので「食・い・だ・め」が当たり前でした。

 現在の瀬の本のユースはオーナーが代わりました。正確には協会から長期で借り受け、個人で運営しています。オーナーさんは登山用品店シェルパの社長・阿南氏です。久住連山の登山基地、ベース・キャンプの宿泊施設にリ・ニューアルしました。登山者の為の食事ですので食べ甲斐のある内容だと、思います。「食・い・だ・め」可能です。

 黒川温泉が近いのでお風呂は皆さんマイカーで入浴ツアーを決め込んでいますが、このユース自体のお風呂が井戸水による天然水なので、当時から長湯をして喉が渇いたら蛇口からそのままゴクゴクと飲んでいました。それほど綺麗な水です。コンビ二で購入したミネラル・ウォーターを沸かして入浴するようなもんです。

 大観峰へテスト・フライトへ行く時は、必ず宿泊しています。敷地がとても広いので、翼長4mの大型グライダーでも手投げテストで調整してから、大観峰へ出陣していました。とにかく1000m地帯ですので、夏場はとても涼しいのですが、雨が降ると途端に気温が下がるので、寝冷えに注意してください。ハラマキ持参も有効です。

 家族連れの方へ 虫かご持参で行きましょう。行けば解りますが、かぶと虫・クワガタ・います。隠れ人気の叩き落しても死なない、アブ もいます。子供にとってはクワガタと並ぶ脅威の虫キングです。

子供さんの虫カゴには、かぶと虫と一緒に数匹の「アブ」が入っている事も多いです。

 

    〇 阿蘇Y・H

 JR 阿蘇駅に最も近いユースです。食事の提供が無いので素泊まり料金で泊まれます。一泊2500円(平成20年)だったと思います。ユースのお風呂は温泉ではありませんが、ジャグジー・バスです。

旅の疲れも取れます。意地でも温泉にこだわりたい人は、駅の近くに風呂屋があります。温泉なので、スパ気分を味わってきてください。旅行と違い旅の醍醐味は発見の連続です。パンフレットを見ずに、地元の住人たちから情報を集めて探検するのも面白いと思います。

 ユースのペアレントさんは普通のおばあちゃんですが、英語がぺらぺらです。私の文章が読める世界中の外国人の方、安心して電話予約してください。(・・・?、ボケが甘かったか・・・。)

早めに入館した人は、名物のだご汁を食べてみてください。冬場は全身が暖まります。夏場は汗ぶるぶるになりますが、夏バテ防止で新陳代謝が良くなります。結局のところ、好きな人は年がら年中食べているという事です。私もそのひとりです。

 料金が安いので外人さんがたくさん泊まります。部屋は8人が基本ですが、外人さんに人気があるという事は、他にもメリットがたくさんあります。私の身長は187cmですが室内履きのスリッパが、私にちょうど良いサイズです。28cm・3Eの足でかかとが出ないので疲れません。2段ベットですが、特注らしく足がつかえませんので、苦労して対角線上に寝る必要がありません。しか〜し!、寝相の極端に悪い人の転落防止策の鉄格子まではついていませんので、該当する人は下のベットに寝てください。普通サイズの格子はついてますよ。

 高森方面へ行かれる方で、ガソリン仕様の足を持っている人は是非山越えをしてください。ユース前から登山道ですので、草千里・中岳火口と探検してください。南側登山道を下ると国道に出る手前右側に、瑠璃温泉(スパ)があります。温泉好きには堪らない内容のスパですよ。

バイク・ツーリストに人気のドライブ・インが高森方面の国道沿いにあります。「ストロング・ボス」そのまま検索してください。ここのハンバーガーはおいしいですが、アメリカン・サイズなので夕食前の人は、注意してください。元CCBの笠さんがライブをやっているそうです。

 内装がアメリカのドライブ・インそのものですので、ライダー・スーツが似合います。ひとり思う存分えつに浸ってください。ワンちゃん・ネコちゃんは同伴OKだそうですが、大蛇とワニは・・・・すいません、聞きそびれてしまいましたので、確認をとってから同伴してください。無理やろな・・・・・。

 お店の中にチョッパー・ハンドルのハーレーが二台陳列してあります。二台ともよくみがきこまれていて芸術品のようです。

 

 

             

● 平戸口ユースホステル 

              ●たびら平戸口Y・H

  平戸の川内峠の遠征の時、宿泊したユースです。すぐ目の前が海ですが、白い砂浜はありません。

そのかわり、パーク・フライヤーにとっては充分な広さの一面芝生の公園が目の前にあります。遠征したのがシーズン・オフだったので、ひとり貸切でショック・コードによるサーマル・ソアリングを楽しませて、もらいました。一辺が150mほどの広さですし敷地外は植え込みの木々はありますが、建物等がないので充分注意をして飛行させれば安全は確保できると思います。

ただし、確認はとっておりませんが、最近ばやりのナイト・フライ付き無許可バーベキュー・パーティ−は不可能だと思いますので、ラジコン禁止等の注意書き看板が立ったりしないように、確認をとってから、行動してください。ユースのお風呂は配達式の沸かし温泉ですが、露天風呂ですしお湯が優れているので湯上りは大変気持ちが良いです。食事は専属の料理長がおられますので、地元の海産物をふんだんに使った料理が出てきます。

 川内峠には、平戸大橋を渡る必要があります。平成17年当時有料(100円)でした。現在どうなっているかはわかりません。川内峠といっても車に負担の掛かるような、急坂はありません。山を登りきると、大きな駐車場があります。そこから遊歩道を使い頂上まで上がりますが、標高が30mほどの西側斜面外海側は、ハンドランチの超軽量機のみの方が安全です。斜面の下はサイトに平行して、国道が走っています。と言いながらも「そんなこと、あるか〜い!。」とチャレンジ・フライヤー諸氏から、お叱りを受けるかも知れません。私自身、良い風が吹いていたのでスパン4mのバルサ製大型ソアラーを飛ばしたのですが、いざ着陸させる時至るところに、お地蔵さんが沢山座っておられます。多分人間が誕生する以前から、座っておられたお地蔵さんたちです。20回以上トライして、やっと理想の着陸コースにのせることが、できました。スポイロンを使って軟着陸にトライ、お地蔵さんの頭上をかすめその先の草むらに、タッチ・ダウン。しかし!、直後に鈍い音がして垂直尾翼がブルンとふるえて急停止。草むらの中で、お祈りを捧げておられたお地蔵さんに、バチあたりなヘッド・バットを食らわせ、案の定負けてしまいました。

 お地蔵さんの数では平尾台にも引けをとらない程、沢山座っておられます。大型機は東側斜面内海がわの方が飛ばしやすいと思います。標高は3倍近くありますし、お地蔵さんもおられません。東向きの風の時の方が、オール・マイティーのようです。

 

              〇吹上浜Y・H

  鹿児島の西海岸は有名なスロープ・サイトです。インター・ネットが普及したにも関わらず、山岳での、スロープ・ソアリングは多くが語られますが、海岸スロープはほとんど出てきません。ネット上で有名な人達に聞いてみると、平成10年以降からラジコンを始めた人の多くが同じ事を言いました。

海岸にグライダーを持っていくと、見る見る錆びていくそうです。飛ばしている内に、無線機が誤動作をおこしてノーコンになるので、絶対やめたほうが良いとアドバイスしてくれます。先日海の中に機体を落としてしまいました。通電した状態で約15分ほど海水に浸かっていたのですが、すぐにメカをはずして、基盤を剥き出しにして真水で洗って、天日干しにしていました。乾いたところで、昭和40年台の4線式、プロポの時代から実践している魔法の水に受信機の基盤を漬け、さらに塩分を抜いてから再び天日干にしました。サーボはボート用の防水型でしたので、コネクタのみ処理をしました。

 一晩たってバッテリーとSWハーネスを新調し、再び通電しましたが誤動作は起きずに、普通に動きました。魔法の水も然ることながら、国産受信機の二重三重の安全対策には敬服いたします。私は、受信機だけは必ず国産品を使うようにしています。この事をネットのお仲間さんの話したところ、FM型の安いプロポだから大丈夫なのだと断言しました。高級プロポでは危ないそうです。何となくアンバランスな説得力ですが、ネジり下げを付けると翼端失速が無くなると信じきっている人達ですので、そういう記述を目にしても鵜呑みにせず自分で実践して確認してください。魔法の水の件はラジコン歴50年のボート・マニアなら知ってると思います。ネットで調べて実践して納得するのも知識のひとつだと思います。

 サイトには入来浜を使っています。海風の時は常に5mの風速が発生するので、スパン4m近い機体でも普通に飛ぶ事ができます。標高は5mから10mといった所ですが、満潮時でも砂浜は20m以上あります。昔から海スロと呼ばれて多くのマニアが集結していた海岸でのスロープ・スポーツですが、過去悲しい出来事が起きた為、人があまり寄り付かないようです。しかし、それに対抗する安全策も万全なようですので安心して飛ばしてください。私自身朝から日の落ちるまで浜にいますが、まだバックを担いだ異邦人にはお目に掛かった事がありません。だって浜に下りる道の横には、鉄製の潜望鏡が海の方をむいて立っています。一本だけか思ったらそこらじゅう沢山ありました。

 ユースは国道沿いに大きな看板が立っています。食事の提供がありませんので、持込となります。大変申し訳ありません、お風呂の提供もありません。近くに銭湯があります。お風呂の件は、30年前と同じでした。世の中は大きく変わりましたが、吹き上げのユースの中だけは昔のままでした。最初10月に泊まりましたが、夜は窓を開けタオルケット一枚で寝てました。夏場の吹上浜は常夏のハワイです。ことグライダーにとっては楽に飛んでいられるので、ご主人様にいじめられる事もありません。とにかく、良く浮く飛行エリアです。しかし・・・、逆風の時は諦めてください。

 

 

              〇バイク・ツーリストのお仲間さんへ

  阿蘇の国道と県道のほとんどは、対面車線です。無理な左追い抜きは大変危険ですので、やめて下さい。過去、車列二台前の普通乗用車と左追い抜きバイクの事故を走行中に目撃しました。このツーリストは対向車がしばらく続いたので、左路側帯側からの追い抜きをしようとしました。地元の人間なら、道路事情を熟知していますので、先のコーナーに何があるか解っていますが、おたがい遠方からの観光客です。カーブの先の情況など知らないと思います。コーナーで無理に追い抜こうとして、標識ポールと車に挟まれライダーのみが、前方に吹っ飛ばされていくのを見てしまいましたが・・・悲惨でしたよ。

 多分 目撃者がいない場合、乗用車のドライバーの前方不注意による全面過失にされるのでしょうが、おたがいの楽しい旅が大変嫌な思い出になるかと思います。ライダーの投げ出された対向車線では、走行中の車が急ブレーキでギリギリに停車できたので、二次災害は起きませんでした。私達普通車のドライバーは市街地での渋滞中、左すり抜けバイクには何度も遭遇していますが、法定速度いっぱいの高原ドライブ・ウェイ走行中の左追い抜きには、全部のドライバーが安全対処できるとは、限りません。

まさか、左から抜かれるとは思っていないドライバーが、咄嗟の回避行動でハンドルをきってしまった時、対向車と衝突するという事故が大観峰近くのミルク・ロードで起きました。ライダーは知らん振りして、そのまま加速して事故現場を離れ、何食わぬ顔で大観峰の駐車場に入ってきたそうですが、駐車場から丸見えだったので大勢 目撃者がいました。すぐに通報されて捕まったそうです。彼らにしてみれば、ミルク・ロードを無料のサーキットと勘違いしています。一般走行車両全部がレーサーではありませんので上手く回避できないと思います。皆さん、安全運転で楽しい旅を!。

 

 

              〇 鳥取砂丘荘(Y・Hではありません)

  鳥取砂丘荘はユースではありませんが、砂丘に最も近いリーズナブルな料金のお宿だと思います。

母体が国民宿舎ですので派手なサービスはありませんが、夕食の蟹をメインの豪華料理には大変満足しました。宿泊した部屋が12畳ほどの大きな部屋に一人でしたので,大型グライダー(スパン7m)の機体を組んだまま調整できました。シーズン・オフの特権です。受付の担当の方と話をしていた時、F3Aの地元有名選手の名前が出るほど、鳥取県内ではラジコンの知名度があります。よって理解度も大変高いと思いました。

 車は砂丘前の有料パーキングに駐車したのですが、機体を組むための比較的広いスペースが、確保できるという点と、路上駐車の違反キップは旅先では大きなダメージとなるからです。一日停めてもキップよりはるかに安いと思います。

 観光客はなぜか砂丘の右端一帯に群がっていますので、グライダー部隊は比較的中央に陣取り、海に向かって機体をドスコイ投げで放り込めばよいだけです。砂丘の標高が20mほどありますし、風速は常に5mは吹いていますので、ソアラー・タイプの無動力グライダーのみならず、軽翼面荷重の完全スケ−ルのレシプロ戦闘機まで普通に飛んでしまいます。過去昭和の時代には、地元クラブによる大会もこの砂丘で開催されていました。何が原因でグライダー人口が減少したのか、ネットの普及状況と関連しているとすれば、エスカレートした一部マニアの違法行動が招いた結果だと、地元の仙人さんたちががっかりした表情で語っておられたのが、印象的でした。

 スロープ・グライダーの醍醐味は、マイナス高度(目線より下)を飛行させる時、機体の上面を見る事ができます。これはラジコン飛行機の数あるカテゴリーの中で、スロープ・グライダーのみに許された特権でもあります。左から右へ飛行させたら左旋回、逆方向なら右旋回、この基本飛行をしている限り、見物人を含む人身事故は起き難いと思いますが、最近グランドで動力付きの機体を飛行させるフライヤーの中にはわざわざ自分の顔前を飛行させる目的で右パス右旋回、逆パス左旋回を平然とやっています。

スロープ・グライダーでこれをやると人身を含む大きな事故につながる要因が沢山発生します。スロープの場合 風は常に斜面を吹き上げてきます。右パス右旋回とは、顔前を右に通りすぎた後、一度左旋回で機体を斜面奥に出し、右旋回で斜面頂上スレスレを左方向に飛行させるやり方ですが、本人にしてみれば自分の高度な飛行テクニックを見物人を含む他人に対して見せ付ける、最も気分の良い瞬間なのかもしれませんが、追い風に乗ったグライダーは舵の効きが向かい風の姿勢より、断然鈍くなりますので注意が必要です。カッコよく派手に飛ばすにしても、基本ルールに沿った安全フライトに努めるのも、サイトを長く維持する秘けつだと思います。

 事故をおこすフライヤーの多くは、大概 他のクラブ飛行場での飛行中だそうです。これが、無許可での使用や国立公園などの公共サイトの場合、(トンズラ)を決め込むマニアもいるようです。彼らは自分のホーム・グランドを持っていますので、事故を起こしてトンズラした飛行場が使用禁止になっても、なんら困る事はありません。他人事のようにネット掲示板において最もらしい事を発言しています。

 ラジコンはおもちゃではなく、位置付けとしては 科学模型というのだそうです。無線という見えない電気信号を使用して楽しむ科学模型ですので、物体を完全に制御出来なければならないという使命感も持たなければならないと思います。特に観光地と共有するサイトでの飛行・走行は注意が必要だと思います。地元の仙人さんたちと一日楽しく遊ばせてもらいました。着陸は砂丘後方が大変広いので、あわてず風に正対させスポイラーを使うと降ろしやすいと思います。

             

 

 

              〇ここから紹介するユース・ホステルは、昭和55年初めてメンバーズ・カードを修得して以降、すべて自転車を使ったサイクリングの宿として利用したユースです。30年前の話もありますので、根強く存在しているところもあれば、すでに廃業しているユースもあるようです。参考になるものがあれば、どんどん利用してください。尚、現在のユースの紹介は2003年版のホステルガイドを使用しています。

 峠を登る最中に風景を見ながら、このスロープはえ〜な〜・・・と頭の中ではバーチャルでグライダーが飛んでいました。今の時代のように小型で軽量な機体が存在していれば、サイクリングの最中でもスロープ・ソアリングにハマっていたかもしれません。

 

               

              〇 萩・津和野・秋吉台・岩国・松山

 

   (萩Y・H)・・・観光地の中にある現在も根強く残っている老舗のユース・ホステルです。昭和55年ゴールデン・ウィークを利用してサイクリングしました。行程を有効に使う為、長門まで輪行しました。輪行とは自転車をバラして専用の袋に収納して、運ぶ方法です。国鉄(JR)時代、手回り品としては規格外サイズの為、サイクリング協会発行の輪行証明証を修得し、手回り品キップを購入する際提示して、タグをもらっていました。シーズン真っ盛りなので萩のユースは大盛況でしたが、お決まりのミーティングも出来ない程の混雑ぶりでした。今回 オフ・シーズンの宿泊でしたので、閑散としていましたが、シーズン中ならごった返すくらいの混雑振りは健在だと思います。特筆すべき夕食等の思い出もありませんが、

かわいい女の子をナンパしようとして失敗した事ぐらいしか記憶にありません。「おととい、ナンパしてください。」一生忘れられない言葉になりました。若気の至りで、懐かしく思います。

 

 

                (津和野Y・H)・・・昭和55年当時 看板が無ければ通りすぎてしまう程、普通の建物でしたが、内装はちゃんとしたユースの造りです。ユース開設の原点のような感じがしました。ドイツで始まったユースの起源が日本国内では旅の我が家として浸透した、ひとつの良き例の見本みたいなユースでした。多くのホステラー(宿泊者)が毛嫌いしたミーティングですが、観光案内なら聞いたほうが得だと思いますが,理由の解らない、大学ユース同好会のゲームに付き合わされるのであれば、参加しても意味がありません。

30年活動してもいまだに同好会のままですね。HP上では結構カッコよく活動しているようですが、いつになったら大学側に認められて、毎年予算のもらえるユース・ホステル部に昇格できるのでしょうか。

 トイレの便器のうんこ詰まりをホステラー自身に直させ、自分は遠目で傍観している内はまだまだ無理かもしれません。何の為のユースのボランティア活動なのか・・・、ページでは有意義な活動でした!と締めているじゃないですか。ネットには真実を書いてください。

ユースの食事としては初めての、幕の内盛りのデコ皿ではなく、ひとつひとつのオカズが独立しているのを体験したのもここが初めてでした。疲れていた精もあるのですが静かな夜に消灯10時が待ち遠しくなるぐらい気持ちよく寝れたのもこのユースが最初でした。いびきの犠牲になった当日同室された方たち、

ごめんなさい。今は昔を懐かしみながら、ただ・・・ただ・・・反省ポーズの日々・・・。

 

                                                                                                                                                         

              (秋吉台Y・H)・・・このユースは一生忘れられない思い出を作ってくれました。当時自衛官だった私に、酒断ちを決意させたユースです。ナンパするのにアルコールの力を借りてはダメだと教えてくれました。

私は19歳でタバコを美味しく吸っていましたが、お酒のざる飲みは二十歳でやめました。当時のユースの規則では館内での飲酒は禁止なのですが、飲酒しての入館も禁止でした。結局ビール好きの私には耐え難い苦痛なのですが、「なんぱ」を天秤にかけたら後者に軍配があがります。ノンアルコールのコーラで我慢している内に、それが当たり前になってしまいました。炭酸飲料の虜です。実は未だに、ビールをざる飲みしたいという気がおきません。キーボードを叩きながらも、コーラです。ビール一缶の価格で4倍飲めますので安上がりのハズだったのですが・・・、タバコ代がそれを帳消しにしています。

 当時のこのユースの食事の特長は、三日ローテーション。4連泊したら初日のおかずに戻ります。そう言えば、私自身ユースの長期ヘルパーの時代があります。夕食はやはり三日ローテーションでした。

初日とんかつ・二日目豚肉ケチャップ煮・三日目豚肉生姜焼き・四日目とんかつです。私の勤務していた 長崎オランダ坂Y・Hは観光地ですので本来、人の出入りが激しいのですが、ペアレントさんいわく、私が担当するようになってから連泊組が増えたと言っていました。メインのヘルパーの雰囲気によっては気分を害して出て行くホステラーもあるようですが、ベットがないぐらい満杯なのにあの手この手で、連泊希望者を泊めていましたが、ホールのカーペットの上に寝かそうが押入れに寝かそうが、文句が一切出ませんでした。これが外人さんにまで伝染したのには驚きました。通常外人さんの特長は、素泊まり長期連泊というのはありますが、食事付き大連泊者が沢山いました。日本語の話せるオーストラリア人の冒険家(職業欄に私はアドベンチャーと書いた単なる旅行者)のリチャードが言ってましたが、苦手な日本食でも連泊して日本人と観光している内に、雰囲気的に盛り上がってくると会話しながらの食事になるので美味しくなってくるそうです。そういえば、初日は食べない外人さんも多いのですが、日本人と意気投合して連泊が始まると食事付きになっていきます。

 秋吉台のユースは日本人だらけでしたが、歳の近い者同士語らいながらの夕食はそれが冷凍食品の盛り合わせであっても、大変美味しく感じられました。今のホステラーさんは贅沢すぎると思いました。