島原の乱(1637~1638)

島原の乱 歴史
島原の乱

口之津港公園のレリーフに取り付けてある、口之津の歴史を書き込まれた35枚の陶板の内一枚を読んでみましょう。

島原の乱

島原の乱

島原の乱 陣中旗

1637年飢饉と凶作、悪政に苦しむ島原・天草の領民約3万7千人が蜂起して、3か月間、原城に籠城した。

約12万余の幕府軍の包囲で参加した領民の殆どが殺され、1638年2月28日落城した。

☆原城は南有馬町にあり、公園として整備してあります、

★キリスト教、布教~禁教~一揆

 1214年(鎌倉時代)  日野江城ができる。
 1496年(安土桃山時代)  原城ができる。
 1563年(安土桃山時代)  イエズス会修道士アルメイダが口之津に来航

キリスト教の布教を始める

 1567年(安土桃山時代)  ヴェイガ船長率いる南蛮船が口之津に入港。

口之津は布教と貿易の拠点となる

 1579年(安土桃山時代)  イエズス会巡察師ヴァリニャーノが口之津来航

セミナリヨやコレジオをつくる

 1582年(安土桃山時代)  天正遣欧使節がローマへ、帰国は1590年
 1587年(安土桃山時代)  豊臣秀吉が伴天連(バテレン)追放令を発布
 1613年(江戸時代)  徳川家康が全国に禁教令を発布
 1637年(江戸時代)  島原の乱(島原天草一揆)

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