一年生

一年生

 

世の中が変って、おどんがこまんかときは、算術と云ったのを算数、読み方を国語、書き方を習字、綴り方を作文、地理歴史を社会、唱歌は音楽、このほかまだあるかも知れませんが、ざあっと考えてもこれ程に変わり、また、その内容も全く変わっていると思います。

 

教科書
教科書

これに修身と云って文字通り身を修める課程もありましたが、これに代わる教科が道徳なのでしょうか。

おどみゃ、この修身の課程で、社会に処する道、すなわち世わたりの道を習いました。

むかしの先生は厳しいもんでした、そして恐ろしいものでした。それで先生の云われたことは何十年たっても忘れ得ぬ金言として、頭にこびりついています。先生にはそれだけ尊厳される人格と識見がありました。

今頃の生徒を教育する先生は昔と違って、大変なご苦労があると思います。それは、生徒が先生と友達の様に親しくしているのはよいとして、むかしの先生にあんな言葉を使ったら殴られるであろう失礼な言葉を平気で使っています。

先生はこれに適当に対応しておられるようでしたが、そこには長幼の序、師弟の美も全くなく、昔人の私達にはなげかわしいと云うより哀れにさえ見えました。

柄にもなくこんなことを云うつもりじゃなかったがつい筆がすべりました。

さて、おどんがこまんかときの、小学校通いは、みんな着物で洋服着だ子供はいませんでした。

 

 

おどんがこまんかときの通学用の着物と風呂敷包みの学用品
おどんがこまんかときの通学用の着物と風呂敷包みの学用品

その頃はどこの家でも自家の機(はた)で木綿を織り、できた綿布で自家用の着物は作ったものでした。

その頃、北目絣と云って大三東(有明町)から売って来る品もあり、その着物姿の子どももよく見かけたものです。そして学用品は、石盤と云って粘板岩の薄い板に木枠のついたもので、西洋紙半分位(B5)の大きさでした。これに石筆と云う石の筆記具で、先生が黒板に書かれるのを石盤にうつして覚えたのが、ハタ、タコ、コマ、マメ、マス、ミノカサ……でした。

これを消すのに小さな拭きものがありました。これも大事な学用品の一つで、教科書は、読み方、算術、書き方の三つのようでした。

昔から云われた、ヨミ、カキ、ソロバン、が伝わっていたようです。

これを風呂敷に包んで毎日いやいやながら学校に通いました。

一年生時代の読み方の時間でした。先生が何でもよいから質問せろと云って席順に指名して質問させました。いよいよ私の番が来たものの何の質問するものもなく、もじもじしていたら「何でもよかけん、はよう云え」と迫られる。仕方なく「汚いてなんですか」と思い切って質問したところ、先生は顔を赤らめて(だいたい赤ら顔だったのですが)

「糞(べー)はどがんあるか」と半ばどなりつけるように言われました。私はおどおどしながら「よそわしかです」(汚いと云う方言)と答えたら先生は「そがんたい」と云って、ちょっと笑われました。

たぶん苦笑いされたのでしょうが、、この笑顔を見たとたん、恐ろしさが一変して心からほっとしたものです。

本当に馬鹿、馬鹿しい話ですが、その後、先生は逢うたびに「ベーはどがんあったかにや」と私の頭をなでられました。余程印象に残った私の質問だったのか、私は先生から頭をなでられたのがうれしくてたまらなかったのでした。

この先生も私が二年生になった時、吉川小学校夏吉分校の先生になられ、それからまもなく亡くなられたそうです。

恐ろしいと思いこんだ先生も、本当は私の頭をなでるやさしい先生であったことを今でも思い出します。