どっこい釜ぶた かぶらいた!!

どっこい釜ぶた かぶらいた!!

 

当時の結婚式に使われていた道具

当時の結婚式に使われていた道具

世の中が進につれて、古来からの風俗習慣も大きく変わりました。

その一つに結婚式があります。

おどんがこまか時は、結婚式は単に「祝儀」と云って式場はすべて婿方の自宅でした。

縁談がまとまり結納を取り替わし、挙式までは現在もさほど変わっていないようです。

「祝儀」と云うのには色々しきたりがあって、婿方は嫁方に対して粗相のないようにと、この対応にはたいへん気を遣いました。そこに頑固一徹の老人がこれを取りしきるとなるとそれはそれは並一通りの苦労ではありませんでした。

婿方は先づ畳の表替え、襖の張り替え、台所の改修等々、それこそ盆と正月が一緒に来た騒ぎでした。

今どきは昼を中心とした挙式ですが、その頃の「祝儀」はすべて晩でした。

夕刻になり花嫁の出発の前、嫁人道具のタンス、長持、鏡台、タライなど家々に応じた多少の違いはありましたが大体この程度は持ち込んだそうです。

「祝儀」の二・三日前に持ち込む家もありました。

これを持ち込む人足は嫁方の青年達で「ヨメゴドーイ、ヨメゴドーイ」と連呼して、かなり酔っている者もいました。それもそのはず、出発前に前祝いと云って冷や酒を飲まされていたのでした。

荷物は、婿方で丁寧に受け取り待ち運んだ人達にはそれぞれ「棒銭(ぼうせん)」というご祝儀を渡し、宴席では本客同様の取り扱いをせねばなりませんでした。

いよいよ時が来て婿方から本人、仲人、親兄弟、親戚一同正装して花嫁を迎えに行きます。

花嫁が遠方の時は婿方に近い適当な家を借りうけて中宿として花嫁を送り出すのです。自宅であれ、中宿であれ、嫁方では簡単な宴席を設けて花嫁を出発させます。

これが済むと両親揃って花婿宅の式場へ向かいます。これを近所の人達は待ちかまえ「ヨカヨメゴナーイ」とほめ、次は声をはりあげて「ヨメゴドーイ、ヨメゴドーイ」と叫んで祝儀を盛り上げるのです。これを一般に「本祝儀」と云うのですが、後では嫁迎えをやめるのが一般化したそうです。

花嫁が花婿宅に片足を踏む入れるのを待っていたこの道の達人が釜ぶたを花嫁の髪の上に差しかけ、

♪~どっこい釜ぶたかぶらいた

鶴は千年亀万年

池島太郎は八千年

ここの嫁ごは一万年

ここの嫁ごをほめてやろう

色白からず黒からず

背高からず低からず

立てばシャクヤク

すわればボタン

歩く姿は百合の花

口はしまって歯が白く

目もとぱっちり鼻高く

髪はからすの濡れ羽色

姿は備後の糸柳

声はりんりん鈴虫で

横から見れば横美人

縦から見れば縦美人

四方ハ方しびれ美人

こんな嫁ごが来てからは

かまどの灰までよめごんと

何から何まで嫁ごんと

と口上にをのべます。この口上は所によっていろいろあるそうですが、それが終わると花嫁が座敷の正面にすわり、三々九度の盃があり、所の巧者な老人が、「高砂や、このうら舟に帆をあげて・・・」と小節の入った自己流の謡に一同頭をさげて、じいーっと終わりを待つ、それがすむと、仲人の訥弁の挨拶がある。今どきのように次から次へと挨拶はなしで直ちに祝宴になり、大きな盃、大きなかんびんが次々に運ばれ、宴は時間と共に盛り上がり、飲む者、食う者、唄う者、或いはそこら一ぱい唾を飛ばして天下国家を論じる豪傑、そしていよいよ最高潮となるのでした。頑固一徹のじいさんもいつのまにやら呂律が回らなくなり目をすえて片手を振りながら「あとはわっかもんのヨカゴテセロ」と全くだらしがなくなっていたものです。

夜も更けて嫁方が席を立つと「マダヨカデスタイ」と止めながら大きな飯茶碗に酒をついで飲ませる、これを飲みほすとすぐまた後をつぎ都合二杯を飲ませる。これを「ワラジ酒」と云って、「祝儀」には必ずやらねばならない風習と云います。

そうこうして夜が明けるとその後始末がたいへんでした。近所近辺から借りよせた茶碗や皿、それぞれの品を返してやっと片付くのは祝儀の二・三日あとでした。

この後片付けが済むと近所の婦人達を交えて、「しまい祝」をしたそうです。そこに静かに花嫁が現れ、

「皆さんごくろうさまでした。」

その声のなまめかしさ・・・・

 

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