口之津の味噌五郎

味噌五郎の足跡
味噌五郎の足跡

口之津の味噌五郎

文 白石正秀

味噌五郎の足跡
味噌五郎の足跡

うそのようで本当、本当のようでうそ。それが人の口から口へと伝えられ定着したものが民話です。

口之津にある民話に味噌五郎と云う怪力無双の男の話があります。

西有家の味噌五郎は素晴らしい頭の持ち主で、町おこしに大変ガマダシているようで誠にたのもしい限りですが、口之津の味噌五郎の頭はさほど優れてはいませんでした。しかし力だけは誰にもひけをとらない男でした。

さて、この口之津の味噌五郎とは、どんな男だったのでしょう。

黄ばんだ木々の葉が落ち始めた秋のある日、村人達が集まって味噌五郎をかこみ、「あの山とこの山を担いで立てるか」と話を持ちかけました。

根が正直者で力には自信をもつ味噌五郎は「これくらいの事なんでもない」と軽く返事をして、もうその気になっていました。そして山を睨んで胸を張り大きく深呼吸をして、目の中で何やら唱えると、みるみるうちに山のような大男に変わりました。そして直ちに準備にとりかかりました。

ところで、あの山とは南有馬の鳳上岳、この山とは加津佐の愛宕山で、これを担ぐことは並大抵のことではありません。しかも、重量は愛宕山の方がはるかに重いので、鳳上岳は動いても愛宕山は動かない事を村人達はよく知っていたのです。

それでも正直者の彼は、そんなことは全然気にしていませんでした。準備完了で、いよいよ両方の山を荷負って立ち始めましたが案の定、鳳上岳は動いても愛宕山はびくともしません。味噌五郎は満身の力をふりしぼって頑張りましたが、どうしても動きません。

これを見ていた村人達は手を叩いて嘲り笑っています。それに憤慨した彼は、何としてでも立って見せようとふんばってみましたがびくともしません。それでも諦めようとはせず、じっと腕を組みしばらく考えていた彼は、重い愛宕山の頂上を掬い取って重量を減らすことに気付きました。(この時の味噌五郎の頭は大変さえていたのです)

この事を村人達に申し出ましたところ、泣き出しそうな大男の彼を気の毒に思い、唯一掬い取る事を条件に了解しました。

よろこんだ彼は、愛宕山の頂上を力の限り掬い取って下におろしました。それが隣りの富士山権現山(174m)だと云います。

こうして頂上を一掬いのけたので両方の山の重量が均衡し、やっとの事で立つことが出来ました。この時、右足を強く踏みつけたので、その足跡が大きく残りました。それが一反五畝(15アール)の水田(写真参照)で昭和中頃までははっきりしていましたが、残念ながら今は全くその跡型はありません。また、左足は立った瞬問にすべらせたので足型は七つに裂け七俣堤として残っていましたが、これも随分形が変わってしまいました。こうして足をすべらせた味噌五郎は、担いで立つには立ったが 歩も歩く事はできませんでした。それもそのはず、足をすべらせた時、足首を捻挫していたのです。

それで頂上を掬い取って平になった愛宕山に腰掛け、時々足をのばし瀬詰の流れで捻挫した左足を冷やしていましたが時々疼くので、足を動かすたびに大きな渦ができました。それが今も瀬詰の大渦として残っています。

口之津は民話の少ないところです。この話も古老(私も古老ですが)から聞いた話に加筆して掲載しました。

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