おたつ瀬

顔を出しはじめた、早崎浜の「おたつ瀬」
顔を出しはじめた、早崎浜の「おたつ瀬」

おたつ瀬

文 白石正秀

あこうの樹の生い茂る早崎浜の沖合に、大潮時の干潮時には少し頭をあらわす瀬があります。

所の人達はこの瀬を「おたつ瀬」と呼んでいます。

この「おたつ瀬」には、面白い民話が伝えられています。

山々に若葉の薫る五月には、時折汗をかく日さえあります。その頃になると、毎年きまったように短い襦袢に腰巻き姿の老婆が水桶に錆びた包丁を入れてここに現れていました。この老婆は大屋の山手に住んでおり、「おたつ」と呼ばれていました。

今年も大潮の日をねらって来た。「おたつ」婆さんは、丘の上からじいっと瀬を見つめていましたが、時はよしとばかりに水桶を腰に結びつけ、ものの見事にこの瀬に泳ぎ渡りました。

瀬に着いたと思うまもなく、水中深くもぐり込みました。その逞しさはとても老婆とは思われませんでした。髪振り乱して潜っては上がり、上がっては潜るその様相は、まさに狂乱の態でした。

今年も、潜り込んだ婆さんは得体の知れない怪物と格闘を始めていたのでした。時折、海面に水しぶきが上がるのが見えました。

しばらくすると、婆さんは、何か大きな物を水桶に入れました。浮いていた桶がぐうっと沈む程のものでしたので、可成り重いもののようです。

獲物をとり終えると小気味な笑みを浮かべて、海から丘をじいっと見ていました。その形相の凄さは、まるで般若の面に似ていたと云います。

それからまもなく婆さんは、陸に泳ぎ着きました。陸についた婆さんは、今までとうって変わったやさしい日頃の婆さんに戻っていました。

顔を出しはじめた、早崎浜の「おたつ瀬」
顔を出しはじめた、早崎浜の「おたつ瀬」

獲物には海藻をかぶせてありましたが、その海藻が時々動くので、よく見ると、なんと大きな蛸の足一本で桶一杯になっていたのです。おたつ婆さんは満足そうな顔をして、ぬれた髪をさばきながら何かぶつぶつつぶやいていました。

それから、婆さんは腰につけていた袋に援物の蛸の足一本を詰めかえ、桶はそのままあこうの下において大屋の山手めざして帰っていきました。

初夏の太陽は天草洋の彼方へ傾いてその日も暮れ、おたつ婆さんは翌日もまたその次の日も、この瀬に渡って蛸の足一本づつを切り取って持ち帰るのでした。

こうした日が一週間も続くと、大蛸の足は最後の一本になっていました。八日目のおたつ婆さんは、この一本にいどみ、この日はまた、大蛸の頭もねらっていたのでした。

おたつ婆さんは、いつものように水桶を腰に結びつけて軽々と泳ぎ渡って、潜り始めました。

ところがその日は、ばたばたと足で水をかくたびに、あたりには何とも云えぬ妖気が漂っているのでした。

大蛸も最後の抵抗を考えているに違いないと考えていたところ、意外にも残る一本の足を岩の間からだらりと差し出しているのです。これを見た婆さんが、例の通り錆びた包丁をその足に向けたとたん、岩間に頭をかくしていた大蛸は爛々と光る眼で婆さんをにらみつけました。

包丁が最後の足の一本にさわるやいなや、その足は婆さんの首に巻きついたのです。

あたりは蛸の吐いた墨汁で、いつもより違う墨の海に変わっていました。そしてその海面には、浮き沈みする婆さんの姿が見えました。もう婆さんは何の抵抗も出来ず、一本の蛸の足にもて遊ばれていました。

しばらくして婆さんは、ぽっかり海面に浮かびましたが、息は既に途絶えていました。そして、その屍体には驚く程の大きな蛸の吸盤のあとが青ずんでついていたと云います。

それから、毎年、盆の十六日の晩は、あたつ婆さんが水桶を腰にさげ、髪ふり乱して悲しそうな声でつぶやきながら、この瀬から大屋の山手の方向に登って行く姿が見られたと云うことです。

(ある古老の話から)

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