✈ Atlas comet 2007 21世紀型新バージョン機 Part-1 (2) (3)
  

 ※ この機体は昭和48年頃の発売です。販売していたのは当時のプライベートワークスである工藤プロダクツ(工藤東氏)です。当時の私は中学生・・・身震いする様な衝撃を受けた記憶が有ります。その感情が何だったのか?・・・当時の私には知る由もありませんでした。何故か魅かれるそのフォルム・・・。その答えは、この機体を再設計した2007年まで記憶の底に仕舞っていたので、鹿児島川内市のお友達の家でバックナンバーのラジコン技術誌を見るまで封印していました。

 ※ 本機の特徴は主翼の最大スパンが1200mmしかありません・・・。どう見たって無動力のグライダーには見えません。当時のラジコン技術誌の何処を観ても、同型のグライダーは見つからず・・・工藤氏独自の理論に基づいた設計思想が有った様ですね。今の私なら、其れが理解出来ます。

 ※ 完全対称翼(最大翼厚13%)・・・テーパー翼なんですが、その比率はどう見たって当時のF3A機みたい・・・。当時は後退翼が主流・・・そのグロー20クラスのスポーツ機の主翼サイズです。工藤プロダクツの機体は、単葉機でも複葉機でもスケール機を元にしたオリジナル設定機が多く、そのキットの内容が削って削って削り倒して丸くする手法がモデラーに馬鹿ウケした内容でした。よって!このコメットも同様・・・。四角で組まれた胴体は、最初から丸く削る仕様なので・・・当時では考えられない様な、厚みのあるバルサシートで構成されていました。ゴッつい角胴が・・・最終的には丸く成るんですもの・・・。当時の私にしてみれば、物凄く不思議な世界(笑)・・・。ラジコン機ってこうやって作るのか・・・の最初の興味が、現在の私の原点なんです。

 ※ この機体フォルム・・・どう見たって無動力のグライダーには見えません。垂直尾翼だって中途半端な位置に取り付けて有るので、如何にも飛び難そうなイメージです。現に07年に大観峰に持ち込んだ時に、昭和のモデラーさんは懐かしそうに見てましたけど、平成の若きモデラーの冷ややかな目線(笑)・・・。彼らの機体はザギのワンメイクかァ?・・・って言いたくなる位の揃いも揃った同じ形ばかり也・・・。その日の大観峰は、ザギが翻弄される位の爆風状態でしたので、誰もザギを投げませんでした。そんな中・・・コメットは発進!・・・。13%の完全対称翼の効果なのか、爆風吹き荒れる南斜面を翻弄されるどころかガンガン突き進む感じの安定の良さ・・・。平成の若きモデラー達の不思議そうな視線の中、昭和のモデラーさん達は代わる代わるプロポを受け取り、その操作レスポンスを確かめていました。

 ※ 昭和40年代末の当時のラジコン技術誌のカラーページに、丹沢のサイトにおけるコメットの飛行記事が掲載されていたんですが、その発進直後のコメットの後ろ姿と大観峰でのテスト飛行の模様がダブって見えました。今の私が考察するとすれば、当時の工藤氏は、何かのスポーツ機を設計したが、あまりパッとした物が無かったのでお蔵入りした旧作の飛行機の主翼を、スロープアクロバット用に再設計・・・。その完成形がコメットなんじゃないかなァ・・・って思います。主翼の構造自体が軽量設計・・・。メインスパーが入っていないんですよねえ・・・。メインスパーの代わりはプランクシートが補う設定です。そりゃそうでしょうよ!・・・当時は一個60グラム前後の標準サーボしか無い時代。マッチ箱よりもデカいんだもの・・・。直径20mmのモーターをケースに収めて、ギヤダウン・・・。そらケースも大きく成りますよね。
  
● 本機を削る前の状態の生地完成で、テストフライヤー諸氏に渡したら・・・、削るの面倒臭かったんでしょうなあ・・・角胴のまんまフィルムを貼って仕上げてしまいました(笑)・・・。本来は此処まで削れる位に胴体は丸く成ります。画像のフライヤーさんは、コメット発売時代は20代・・・。欲しかったけど、元々の販売キット数が少なかったので、順番が回って来ず・・・手に入れる事が出来なかったそう・・・。其れから30年以上の時が経過して・・・早く飛ばしたい気持ちが先行するのは良く解ります。身長160センチ代のテストフライヤーさんが持ってもこのサイズ・・・。ザギに比べたら小さいし、ズングリしてるし・・・一目で飛ばないだろう!って判断してしまった平成の若きモデラー諸氏・・・驚くのも解る気がしますなあ

● 最近・・・福岡県のモデラーさんが、このコメットの複製をされて機首にブラシレスを搭載・・・モーターグライダーにしたんですが、その後のラインナップからは廃棄処分されたみたい・・・。元々が無動力設定で開発された本機コメットです。何でもかんでもブラシレス・・・の風潮は、平成のラジコンブームの代名詞ですしね・・・。工藤氏監修の元、垂直尾翼の真ん中にパイロンを立てたCOX049エンジンを搭載したモグラ仕様も、後期型では販売されました。このモグラ仕様の場合の、エンジンのスラスト角度・・・色々と検討して最終的に決まった位置に搭載しないと、飛行姿勢が安定しませんでした。

● この福岡のモデラーさんが製作したコメットですが、機首先端からは折ペラのみが覗いていたんですが・・・ダウンスラスト・サイドスラスト等の概念は有ったのか?と思いました。まあ・・・グローエンジンのプロペラよりも大きいダイヤ(直径)の折ペラを取り付けてるみたいですが、本機に使用してある推力はグロー燃料の(COX049)エンジンです。プロペラは5,5×4~5インチで充分です。多分・・・エンジンよりも高速で回転するブラシレスモーターなので、エンジン用ペラよりもダイヤが遥かに大きい折ペラを本機に使うとどうなるのか・・・。多分、完全対称翼なのでダウンスラストの影響は少ないとしても・・・サイドスラストは相当付けないと、機体は真っ直ぐ飛べないでしょうなあ・・・。そういった知識が足りないとは言いませんが、多くの機種を製作して色んなクセを掴んだモデラーとは思えませんでしたね。

● 本機の場合・・・重心位置から見て、テールモーメントよりもノーズモーメントの方が距離が長い飛行機の場合・・・、トラクター推進よりもプッシャー推進の方が飛ばし易い事実・・・デルタ無尾翼機を長年飛ばしているモデラー諸氏ならご存知の筈・・・。まあ・・・何でもかんでもブラシレス化という考え方は捨てた方が良いんですよねえ・・・。個人で楽しんでいるので止めろとは言えませんが、無動力のグライダー専用として開発したのなら、モグラ機(モーターグライダー設定機)とは主翼の翼型等とは設定が違うと言う事を知らなければなりません。機首にグロー09エンジンを搭載した試作型のコメートの存在・・・知ってる人ってどの位居るんだろうなあ・・・。実は試作型ですが、逆転エンジンを搭載したプッシャ型まで試作機は存在しています。工藤氏も色々試したんですなあ。
  
● 本機はレストア記事として執筆しています。数年間テストフライヤーさんが飛ばし込んでくれた本機は、その新型としての色んな飛行データを事細かくレポートした、小雑誌と共に工房に帰って来ました。削らずにフィルムを貼った胴体は、もう一度正規の形状にしますので、フィルムを全部剥がして削りを入れました。本機はデルタ機には珍しい・・・スポーツ機の流れを汲んだショルダー機です。常に飛ばし易さと手投げのし易さをを提供して来た工藤氏の理念を感じます。よって私的考察(ワガママ)を極力抑えて、コメット本来のアウトラインを崩さない様に複製しました。

● 今後はテストフライヤーさんが収集してくれた、このコメットのデータを使って新しいコメットを作ってみたいと思っています。ショルダー・スタイルのコメットの製作記事は勿論の事・・・ジェットスタイル・キャノピーの付いた近未来型の低翼式コメットや、古き良き時代のアナログ式エレボンの作動リンクを組み込んだコメットも作ってみたいと思います。見るからにガチャガチャと金属特有のかん高い音が聞こえて来る様な、平成の若きモデラー達が観たら鼻で笑って馬鹿に出来る様な構造に成るでしょうなあ(笑)・・・。今から作るのが楽しみなんですよねえ・・・。年齢が80歳近い古株のモデラーさん達が、冥途の土産に記憶して行きたいとの事・・・。
  
● 本機のエレボンサーボは、ダイレクトリンケージなので左右振り分け搭載・・・。送信機側の電気ミキシングでコントロールしています。このコメートが発売された時代の送信機には、現在の様な電気ミキシングが出来る様なプログラムパネル何ぞ付属していませんでした。サーボのリバースSW何ぞも無い時代でした。よって逆転サーボは別売りの時代・・・オマケにセット付属の正転サーボよりも値段が高い(単品売り)・・・。まあ・・・其れが当たり前だったんですけどねえ・・・。

● テストフライヤーさんに飛行機を渡す際・・・主翼の上面のプランクシートを接着しない脱着できるパネル状態にしていたんですが・・・。まあ・・・中継用のリードハーネスを入れる様に指示したんですが、此れが(笑)・・・サーボ本体に直付けしているリードハーネスが極端に長いので、其のままダイレクトで埋め込んでプランクシートを貼り付けていました。サーボも(NES-321型)を二個ずつセットして渡したんですが、フライヤー氏の中には別の自前の高級機にサーボを使用して、代わりのマイクロサーボを無理矢理装着したりと散々な有様・・・。データが全く取れないテストフライヤーも居る中・・・このフライヤーさんのサーボの取り付けが一番良かった状態とも言えますなあ・・・。
  
● 本機コメットに搭載したサーボは、JR(日本遠隔制御)の(NES-321)です。何故に縦積みなのか・・・横積みにした方が空気抵抗が減らせるのに・・・って思うのは平成のモデラーさん・・・。さて・・・幅の広いセロテープで目張り固定するのが、彼らの一番ポピュラーな取り付けなんですがねえ・・・。そんな危ない事を当工房は推奨しません。横積みでもちゃんとビス止めで固定します。本機の最大翼厚は13%も有るんですよ。(NES-321)は、ミニサーボなんですがトルクは2,5キロと大きく・・・サーボのビス孔が4本締めです。

● 中央の画像は標準サーボ(トルク3kg)とミニサーボ(トルク1,5㎏)ですが、NES-321はこの中間のサイズです。幅は広く15mmなんですが、嵩が低いので薄型サーボと呼ばれています。このサーボを画像の様に縦積みにして、出力軸のサーボホーンを主翼ギリギリに沈めても、まだ主翼の内部には余裕が在るんです。F3A機で昭和から平成中期に掛けて使われた、リブ間を跨ぐ広めのサーボマウントを造り、サーボを縦積みしたら・・・サーボの周りの空間をバルサ片で埋めると、入り口はサーボの表寸法ですが、内部はリブ間一杯の空間が有るので長いリードハーネスの処理にも困らないんです。よってサーボ搭載スペースまで延長のリードハーネスを導き、サーボの交換はこのリブ間のスペースで行う構造です。

● 昭和のF3A模型は、言わば模型業界の旗手であり・・・その都度規制に沿って、色々な改良が為されて来ました。グローエンジンの騒音問題において、パワーを落とさず消音効果を高めるチューンドサイレンサーが開発され、其れが当たり前に成ったり・・・垂直上昇・降下の演技が増え・・・燃料の供給がマフラープレッシャーだけでは不安定に成ると、ポンプ付きのエンジンが開発され普及しました。ポンプ付きのエンジンなら燃料タンクは機体構造の何処に置いても良い訳なので・・・主翼をカンザシで胴体側板にて結合・・・広く成った胴体の重心付近に燃料タンクを配置し、燃料の消費による重心の移動を無くしたりと・・・色々と研究開発されて来ました。其れが他の模型に活かされています。サーボの縦積みもF3A模型からの応用です。60クラス(10cc)のグローエンジン搭載のスタント機と、同サイズの翼端エルロンを本機はエレボン動翼に使用しています。セロテープで目張りしたサーボで踏ん張れる訳がありません。ミニサーボと言えどもビス孔は4個・・・。4本のビスでガッチリと固定してあります。そのサーボに掛かる風圧を、サーボ本体で踏ん張れる様に、リブ間のサーボマウント周りをバルサ片で埋めました。サーボの縦積みにも、ちゃんと理由が有るんですよねえ・・・。
  
● 本機の主翼は翼弦が翼中央では300mm近く有ります。エレボン動翼分を差し引いても、幅600mmが定尺のフィルムで横二列が精一杯です。余裕をもってフィルムを裁断するならこの方向しか有りません。問題は主翼が後退しているので、イラスト画像左側の裁断手順で無いと、最悪貼り面4枚の内、二面は裁断失敗で貼れなく成るんです。初心者さんがフィルムの貼り込みで、最初に失敗するのが、イラスト右側の裁断です。フィルムには裏と表が有りますので、同じ方向と形状で裁断すると、二面は寸法足らずで使えなく成るんです。画像の型紙は両面一対で裁断すると、フィルムは左右対称で切り出す事が出来ます。信じられないモデラーさんは、一度失敗するのも良いかも知れませんね。百戦錬磨のモデラーさんは、過去に苦汁を舐めてますので、生地完成の主翼や原寸図面の状態で形紙を造り・・・失敗を回避しています。
  
● 主翼のフィルムは貼り替えが済んでいますので、先入れのリードハーネスは既に主翼の中に納まっています。此処では、本機コメット用に採寸した内装のリードハーネスを通す手順を示しています。サーボの取り付け孔から、主翼中央のハーネス出口の孔までに数枚のリブの小穴を通過させなければ成りません。もし、単純にコネクタを繋いだまま配線を通すと、翼内の角とコネクタの角が干渉して抜けるかも知れません。抜けたら最後・・・再びフィルムとプランクシートを破る羽目に・・・。これ等の失敗を防ぐには、画像の様にコネクタの段差をセロテープを巻いて塞ぎ・・・、ハーネスの角もセロテープで緩い斜めに貼り込んで仕上げます。此れを通すと、リブ孔にも引っ掛からず、比較的楽にハーネスが通せます。
  
● レストアする為に主翼のフィルムを全面剥がしたんですが、流石!昭和の大御所さんですね。テトラ製のノイズレスヒンジを埋め込んであるんですが、抜け止めの爪楊枝を主翼の後縁と動翼側に刺してありました。ワザワザ抜く必要も無いので、其のままフィルムのみ全部剥がしました。工藤氏オリジナルのコメットの動翼は、厚さ10mmのバルサをテーパー状に切り出して、前縁をセンターヒンジ用にVカット・・・後縁を幅20mmのみテーパー状に削るという、平面が残る動翼でした。本機の場合は、木村バルサの幅の広いエルロン材(最大幅55mm)の前縁側を、図面寸法まで切り取ってVカットした本格的なテーパーエルロン材です。動翼としての性能は、後者の方が上なのでSカンバ―設定は、工藤オリジナル機よりも遥かに少なくて済み・・・約1,5度ほどの跳ね上げ設定です。此れにより・・・空力的整流効果が良くなり、更にスピードが増した感じです。

● 本来のバルサキットは、動翼の抜け止めに対する安全処置が必要です。本機は強風時のフライトに置いて、瞬間速度は軽く100キロを越えてしまう能力を持っています。昭和の時代に数多くのスポーツ機のバルサキットを販売された工藤氏です。無動力のスロープ機であるコメットも、ベテランの操縦に完全に呼応するかのアクロバットが可能です。振り回す機体であるが故・・・動翼の抜けに対する事故防止は、工藤氏と同世代の大御所なら当然の処置ですね。紙ヒンジやピンヒンジを、大型ラジコン模型に瞬間接着剤を垂らして固定する様な、危ない修復をRCAWのヤマ編さんは、編集後記で苦言として述べておられましたが・・・此の編集後記を読んだモデラーがどの位居るんでしょうかねえ・・・。ちゃんと読んでれば、その後に起きた人身事故やら物損事故は、少なくとも回避出来たんじゃないだろうかと思います。
  
● 主翼の上面に固定する垂直安定板(バーチカル)についての記述です。本機アトラスコメットが発売された当初(昭和48年位)は、厚さが2mm程度のスポンジの両面テープが市場に出回り始め・・・ラジコン飛行機もサーボは両面テープで固定する風潮がありました。時を同じくして・・・このコメットの垂直安定板も、主翼上面と接する面には幅の広い木部のマウントを介して、両面テープで固定してありました。

● 当時なら・・・工藤氏の事だから、キチンと垂直尾翼の進行方向を主翼の上に作図して取り付けただろうと思いますし、キットを購入したモデラーも、ラジコン技術誌掲載の工藤氏直筆の製作記事を読み解きながら組み立てた筈だから、多分・・・当時なら取り付けミスも殆ど無かった筈です。ところがネット普及の現在・・・画像は観るけど活字を読まないモデラーが増えている状況により、たとえ設計した開発室の記述よりも、間違った解釈のブログの教祖様の言う事を優先する風潮が在るので、大手メーカーのバルサキットには原寸図面よりも、写真満載の小雑誌の組立説明書が当たり前に成りました。ただ・・・其れすら否定する様な、ブログの教祖様の手抜きとも言える組立に対する記述を優先してしまう信者さん達・・・。そういう人達はもう放っといて、残ったモデラー達の為の詳しい説明書を充実させた方が良いと思うんですがねえ・・・大手のメーカーさん!。メーカーの指示を無視する様なブログ教祖様と信者さんは放ッとくのが良いですって・・・。彼らは自分が加害者の立場に成って、初めて気づく事ですので・・・。

● 当工房の垂直安定板の取り付け構造なんですが、最初から垂直尾翼は小ビスで固定する方法を選択しています。主翼上面のプランクシートの下には、PVC樹脂のブロックが埋め込んであり・・・その台座に直接タッピングビスで固定する構造にしました。垂直尾翼下部のセンターには、クッキージョイントが埋め込まれ、主翼側の設定された溝にはめ込むので、進行方向に対する歪みやズレは起きなく成っています。此れも活字を読まなくなったモデラーに対応した設計です。

● さて・・・この垂直安定板の下部の逆アールの補強部分・・・。ネット世代ならフィルムを一生懸命に貼ろうとするんでしょうけどねえ・・・。コメットが発売された時代は、フィルムよりも絹張り塗装仕上げがまだまだ主流でした。工藤氏はこのコメットの垂直尾翼を5mmのバルサシートのムク板で切り出し・・・下処理を施して和紙を貼り込み塗装で仕上げています。よって細かい逆アールも綺麗に処理して有るんですがねえ・・・。平成のモデラーでも塗装仕上げの高級感は伝わっているらしく・・・オークションサイトに出品すれば高額査定に成るって知ってます。だが・・・自分では作るのが面倒臭いので、なるべく安く購入しようと、チビリチビリと値踏みするのが特徴です(笑)・・・。

● 貼り込んだフィルムはオラカバドライのトランスパレント・レッド・・・。発色の良さはウレタン塗装の鏡面レベルに匹敵します。だったら逆アール部分は塗装すれば良いんですよ。単純に・・・。クリアラッカーを刷毛で塗り込むを三回ほど繰り返すと、塗膜が出来ます。軽くスポンジペーパーで磨いてから銀粉を吹き付ければ下処理は完了です。
  
● 銀粉色の特徴は、下地の色を全て隠し・・・上に吹き付けた色彩の明度を侵しません。よって画像の様に同調出来るんです。別に難しく考えてウレタン樹脂の塗料を塗り込む必要はありませんよ。動力機じゃ無いので燃料の成分に侵される心配もありません。堂々とラッカー塗料で仕上げて下さいね。

● 飛行場に行けば、必ず一人は居る・・・負けず嫌いのモデラーさんから、あ~すれば・・・こうすれば・・・もっと良くなった!って類の無責任な発言があるでしょ?・・・。彼はネットで仕入れた他人の知識は沢山持っているので、俺は何でも知ってるぜ!・・・を自慢するんですが、自分で実践して検証した知識は殆どありませんので、知ったか振る割には、その言葉に重みが感じられません。そういう台詞は無視して良いですよ。実践して何ぼ・・・ガチンコ勝負が模型世界では一番有能な武器と成りますから・・・。
  
● 胴体は此処まで削る事が出来る様に構造を形成して有ったんですよねえ・・・。この仕上げが工藤氏設計のコメットの本来の姿です。今の時代なら・・・この昭和40年代のコメットの容姿を、もっとドレスアップしても良い筈です。透明なブルースモークのキャノピーにすれば、もっと実機感が増すかも知れません。今後の発展に期待して下さい。(Part-2に続く)