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ヴァリニャーノ神父像

口之津港公園に立つ、アレサンドロ・ヴァリニャーノ神父の胸像 ヴァリニャーノ神父の胸像 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父は1579年南蛮船で口之津港に来航。1580年有馬のセミナリヨ設置や1582年~1590年の天正遣欧少年使節の派遣などを...
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魚群探知機

魚群探知機 魚群探知機 魚群探知機の原理は山びこと同じです。 大声を出して向こうの山から反射音がはね返ってくるように、山びこの原理そのものを応用しています。 魚群探知機の基本原理は、まず船底に取り付けた送波器から超音波を船の真下に向けて発射...
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世界のフルノ

世界のフルノ(1938~ ) 南島原市名誉市民である古野清孝氏と古野清賢氏は魚群探知機で有名な古野電氣株式会社の創業者である。同社は1939年口之津町で古野電気商会として創業。 二人が製作した世界初の魚群探知機こそ、世界の漁法を変える礎とな...
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外国航路の船員

外国航路の船員 日本一船員の多い町として栄えた口之津町、1960年代前半には口之津町の約6割超が船員と関係があったとも言われる。 多くの口之津出身者が外国航路の船員として世界の海を駆け巡っていた。と書いてある。
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口之津海員学校

口之津海員学校(1954~ ) 1954年4月に運輸省所管口之津海員学校本科(航海科・機関科)が設置される。2001年全国8校の海員学校が統合され、独立行政法人海員学校とし発足。2001年、国立口之津海上技術学校に改名。現在まで多くの船員を...
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永野萬蔵

永野萬蔵(1855~1924) 口之津村西大泊に生まれた萬蔵は外国船の船員だった。22歳の時、カナダ南西の港に寄港中脱船して密入国した。 フレーザー川での鮭漁で塩漬製造・缶詰製造で財をなし❝カナダ大尽❞❝サモン大尽❞の異名をとった。 197...
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上野応介翁

上野応介翁 与論村長上野応介氏は明治34年与論島の人500人余りを連れて口之津栄町に住み明治43年まで、与論最高の指導者として活躍した人である。と書いてある。
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与論島からの移民

与論島からの移民 明治31年年代、台風で壊滅的な被害を受けた鹿児島県最南端の与論島。明治32年から34年にかけて与論島、沖永良部島、甑島などの島民が口之津に集団移住した歴史がある。 石炭積み出しの荷役労働に従事し、口之津の発展を支えた。移住...
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ピーター・ホルストローム船長

ピーター・ホルストローム船長(1855~1928) スウェーデン出身のピーターさんは1890年頃から三井社船の船長として活躍し外国人船長として最後まで日本に残り、口之津船員の養成に尽力した。 「ピーターさん」の愛称で親しまれ、口之津に居を構...
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からゆきさん(1887年頃~)

からゆきさん(1887年頃~ ) 1887年頃から、口之津港から石炭を輸出する船の船底に娘たちが積み込まれて東南アジア各地へ送られた。 当時、貧しかった天草・島原半島の娘たちが多く、親の借金の身代わりとして船出した。 口之津港の繁栄の影に犠...