野向一本松(野向区)
文 白石正秀
野向の高台に、天を突く老松のあったことを知っている人がだんだん少なくなりましたが、この松は「野向の一本松」と言って実に見事な松でした(写真)。
昭和の初め、詩人野口雨情が加津佐の柊旅館に投宿して、この地を訪れ、
野向一本松
根株はここに
枝は栄えて天草ヘ
ーーーという詩を作りました。さすが大詩人の作で、この詩に大老松のすべてが語り尽くされています。
昔はこの地に松尾神社が祀られていました。この神様は元禄十二年九月(一六九九)の創祀とありますが、当時社殿があったかは分かっていません。しかし、境内に残っている万灯籠には、安政七年(一八六〇)奉上の字が判読されます。
ーーして見ると、この時代には常々たる松尾神社があったことも想像されます。
祭神は、大山津見神、大綿田津見神です。今どきは余り聞きませんが、酒のことを「松尾様」と言っていた酒好き老人のことを覚えています。それで松尾神社は全くの酒の神様かと思っていたら、山の神、武の神、海の神とも言われる神様だそうです。
古書には、「大松ノ根本ニ一ツノ石祠アリ猿ノ像ヲ祀ル何ノ因縁ニヤ陰暦霜月朔日郷人角カシテ楽シム乃年中行事ノーナリ」-とあります。一本松の相撲は、当時行われていた宮相撲の最後級のもので、冬の足音が近まる頃のこの地はたいへん賑わったと語る古老の話に昔がしのばれます。
こうした歴史を持つこの松は、終戦後に松喰虫の被害を受け遂に枯れ果て、一本松の名所がなくなってしまいました。この善後策を協議して、区民は後継の松を植えましたが、またすぐに松喰虫のために枯れてしまいました。それで、その代わりに桜を植えることになりました。
それ以前に造った祠には大松の根元にあった露座の神様を移し、新たに海の守護神金比羅様を合祀しました。以来、船員の安全を祈り続けて、今日に至っています。
わずか一坪たらずの祠の中で、
神様たちはーーー「雨風凌げて、此処はヨカ!」と満足そうに鎮座しておられます。
この祠を囲んで植え付けた桜は、もう真っ盛りの貫禄十分な桜となり、後から植えた桜は先輩桜に負けるなと、勢いよく枝を延ばしています。数の上では後植桜の方が遥かに多いようですから、この桜がどんどん大きくなったら立派な桜の丘となるでしょう。
木陰に立って眼下を見れば、型、様々な新屋が重なり並ぶ野向集落の豊さを感じ、西方に渺茫(びょうぼう)たる橘湾を経て遥かにかすむ天草の島々。その昔、「雲耶山耶」の頼山陽の詩情が胸に迫る思いのする絶景の地。かつては野向一本松の景勝地が松なき後のいま、この地は桜の杜の景勝地に変わろうとしています。